西垣通

専門家という存在は高学歴社会になると、針先のように専門が分化していく。ある特定のことは深く知っているが、全体のことを考えなくなる。自分たちが社会をどうつくっていけばいいのか、という大きな問題が、専門家には分からなくなった。自分の専門分野を超えて広い視野で議論をできる人がいないように思います。 ネットには歴史的に、国家権力を相対化する、市民のためのコンピューターネットワークという面があります。自分たちで社会制度をつくり上げていこうという米国の西海岸文化と結び付いた、ボトムアップの文化がある。現状のネットの討論空間は、汚い言葉でののしり合ったり自己満足的に同じ意見を言い合ったりするだけのものが多く、寂しいものです。でも本来、ネットを使えばもっと建設的なことができるはずなんです。 きちんとしたボトムアップの議論ができない今の状況では、民主社会はどうなってしまうのか。私はネットに活路を見いだしたい。